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私の名前はマッコイ!

matsukoi.exblog.jp

映画の匂い

映画に対してはもうどうでもいいやって域に達する位観なくなっていたんだけど、ここ最近また観るようになる。

赤ちゃんは未発達な五感のうち、まずは母親を、匂いで認識するそう。
そういや匂いは思いがけず思い出を固定化する。
母親の匂い、好きだった人の匂い、初めて行った男の子の部屋の匂い、
雨が降った後の地面の匂いなど。
そもそも思い出は頭の中にしかなく、嘘っぱちに近いもんだ。
ぱしっと風景・形が残る写真よりも、匂いで引き出された残像のが自己処理された思い出に近く生生しい。

今年観た映画のうち、二つについて書き残したいので書いてみる。

※現実ではありえないのに現実を感じる「時をかける少女」はどうしてか。
時をかけるのは少女であるからかな。自分自身のあったのかよくわからない少女時代は、私自身に問題があったからか?現実にあったことよか、何を考えてたかっていう頭の中の出来事の方を今になっても思い出す。楽しいことをしている時もつまんなかったり、悲しいときがあった。
この映画を観てから、いいのか悪いのか、後悔していることを良く夢に観るようになった。
少し前にもはや必要ないと判断したことが、またフラッシュバックする。
あー必要のない出来事はやっぱりなかったんだな。だらだらが大好きなのに後悔を喉から手が出ちゃうほど欲していたんだなと気づく、ぼんやりした朝を迎えることが度々。

※フランソワ・オゾンの「まぼろし」を観た。忘れられない。いろんな映画を観てみて、記憶に残るのと残らないのがある。映画として売ろうとしているものには必ず商品価値があるので、残る残らないは自分の頭が整理していると思う。忘れられない。この映画は映画そのものでないとできない変な感じ。「時をかける少女」だってそういや現実でないな。「時をかける少女」で過去を思い出すラベンダーの匂いがあるように、「まぼろし」は自分の心の中に留まるための過去の海の匂いでいっぱいだ。
 
頭の中は他の人にはわからないことがうれしいし苦しい。わからないからひどいことやエッチなことをたんまり考えることができるし、他の人にわからないから独りぼっちだと実感する。

映画は頭で考えた作り物だから、作り手の本当にとても近いのかな。

庭にあるラベンダーの葉っぱ匂ってこよ。
# by matsukois | 2010-11-16 14:48 | 園芸